園だよりから

2022年10月の園だよりから

プレイデーの練習のために、跳び箱が園庭に置かれ、年長組の子どもたちが勢いよく飛んで行きます。
うまく飛べなかったと思って何度も挑戦する子たちがいます。
飛ぶ前には周りの大人が自分の事を見ていることを確認します。
見ていないと名前を呼んで「〇〇見てて」とさけびます。
そして飛べた時にはおおよろこびをします。
私もその子どものよろこぶ姿に共感します。

一般的に、二種類の喜びがあると言われます。
一つには何かをするよろこび、何かができるよろこびです。
跳び箱が飛べた時のよろこびもそうです。
もう一つとして、存在そのものが受け入れられる喜びで、居場所があるという喜びです。
何かをするよろこび、できるよろこびがあってこそ人は生きがいを感じることができます。
けれどもそれだけでは十分ではありません。
人は愛され、受け入れられてこそ人生が根底から支えられ、よろこぶことができます。

聖書では「いつも喜んでいなさい。」とか「苦しみを喜びとしています。」という教えがあります。
この喜びはイエス様がいつも一緒にいて、苦しみも共に担ってくださる喜びです。
目に見えないイエス様が「いつも一緒にいるよ。」「大丈夫だからね。」と
私たちが気づかないところからいつも見守り言ってくださる喜びです。

川崎頌和幼稚園の大人たちが「育つ力を見守りたい。」という姿勢は、このイエス様の教えから来ています。

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